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父親がどうしても怖い。怒る心理と苦手意識を克服する方法

家庭的にも、社会的にも昔は役割が多く大きい存在だった父親。

ですが…父親に対して苦手意識を持つ人も多いと思います。

今回はテーマに沿って幾つか考察し、一人の人間として父親を分析していこうと思います。(今回は虐待されていた、離婚などで父親がいないなど特別なケースを除いての記事です。)

この記事を読むことによって、父親が子供に向ける気持ちや父親とのかかわり方を知ることができます。

父親が怒る心理

昔から怖いものといえば、“地震、雷、火事、親父”と言われる程に恐れられていた。元々は親父の場所に強風、台風があったそうでそれに並ぶ存在を持っていた。

では、なぜそこに親父が収まったか、単純に怒るとそれぐらいに怖かったから。

だが今現在はどうだろうか…IT社会が発達し希薄なまでに人間関係が薄れたようにも感じるし、近所にいた怖い友達のお父さんもどこか他人行儀だし…もっと人との付き合いや関係性が親密だった頃は、近所にいる父親がルールで怖い存在として治安維持をしていたように見えた。

集団として仲間を大切にしルールを守り、見守り大黒柱の役割を担っていた。だが、間違いや集団から外れてしまうと怒られる。それこそが昔からの役割で存在だったと思う。

父親が怒る心理としては社会と家庭を繋ぐパイプの様な役割を持ち、そこから外れると直そうと、正そうとして怒っていた(諭そうとした)のではないだろうか。

自分の心にどう折り合いをつけるか

子供心にとって“父親”という存在はどれほど雄大で畏怖の念を持つ存在なのだろう。でも、彼らもまた父親という役割を持つ“人間”で時には間違いや失敗だってある、挫折だって味わったかもしれない。

決して強さだけ持った超人ではない、弱さも狡さも必ず持っている。だからこそ頑張って父親という役を全うしようとしているのだ。子供の扱いすら初心者だったのだから、彼らだって経験値で父親という存在になったのだ。

でもだからといって私たち子ども心に理解できるものでもなく、共感も出来ないものでましてや折り合いをつけるなんて自身が身をもって経験するまでは全くの難題ではないだろうか?

では、どうやって折り合いをつけるのか…。対等に話し合えれば理解しあえれば、どちらも人間だと、お互いを完璧ではなく未熟で人生も道半ばで少しだけ父親が先に歩いているだけで何も人間として違いはないのだと。

父親に対する苦手意識を克服する方法

今回、一番難しいと感じたテーマ、“苦手意識を克服する”ということ。皆誰しも苦手なものは少なからずとも持っているもの…食べ物、動物、場所…など。

それでも避けては通れないのが人間関係。ましてや家族となると余計に衝突も食い違いも他人よりかは何倍も多くめんどうくさく感じるもの。でも、いくら分かり合えないからといって無視することもできないのが親と子という関係。

だからこう思う…完璧には不可能だとしても、歩み寄りはできる。お互いが譲歩し合い話し合い考えを打ち明ければどこかで妥協点が見つかるのではないかと。

何億といる親子の関係で色々な解決策がある。それはその家族の中でしか見つからないと思う。何年たっても苦手意識は克服できないかもしれないし、すぐに打ち解けるかもしれない。こればっかりはやってみないとわからないものだ。

どのようにしたら仲良くできるか

往々にして父親は子供が出来た瞬間から子供に好かれようと頑張っている。最初は母親の育児を慣れないながらも戸惑いながらも新米父親として奮闘し遅れながらも父性を成長させていく。

最初の頃こそ父親の出番は少ないかもしれないが徐々に割合が大きくなっていく。例えば他者との関わり方や、物事への取り組み方、また、成長するにあたっての失敗や成功などの経験。

その経緯で父親がどれだけ子供と仲良く関われるかで関係が大きく違ってくる。過干渉では重すぎるし、無関心は寂しいと思う。お互いに合った距離を探すのが仲良くなる一歩ではないだろうか。

勿論、子供からの協力も不可欠である、向き合わなければ何も解決できないから。

まとめ

父親が怒るには理由がある。社会という規則を教えるため。

父親も人間で未熟な時も必ずあったし対等に話せる存在だと認識する。

完璧に克服するのは不可能に近い、お互いに妥協点を見つけるのが得策。

どこまで仲良くできるかは努力次第、話し合い向き合う事が大切。

ここまで、一人の人間として父親という男性を考察してきましたが、私自身も何かと父親とぶつかってきました。小さなころより思春期という過敏な時期に。

向こうはアドバイスとして関わろうと頑張ってはいたのでしょうが、何せ私は取りつく島もなく無視を決め込んでいました。今、この記事を書いた後ではあの大きく聳える山の様だった“父親”は一人の人間として縮んだ様にも感じます。

それは自分が社会人として独り立ちし歩いて行かなければならなくなった時に父親を身近に感じたからかもしれない。

この記事を読む人たちはどう思うか、どう感じるかはわかりませんがもし、あなたが父親との関係に悩んでいるのなら彼も一人の人間なのだと頭の片隅で考えてほしいと願います。